日々の考察と、邂逅

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カナシミニツイテ

 

私が悲しみについて考えるようになったのはつい昨日のこと

 

実家の犬が死んだ

 

もちろんと言ったらドライ過ぎるけど

 

その際に立ち会えなかった

 

仕事が忙しかったと言えばそうだが

 

目の前のタスクに追われて

 

病に伏す彼女の住む実家からは足が遠のいていた

 

家に帰ると風呂にも入らず寝て

 

朝起きると仕事

 

休みの日は掃除、洗濯、買い物に追われて

 

気づけば夕暮れのメロディー

 

公園のスピーカーから流れる音楽

 

その終わりに鳴るパーという間抜けな音が好きだった

 

いやそんな現実逃避はいらない

 

とにかく12年も私の家族を癒し続けた彼女が死んだ事が悲しくて仕方なかった

 

 

 

 

悲しみについて

 

そうだ

 

これまで考える事がなかった

 

 

 

 

割といい成績で割といい学校に入り

 

割と雰囲気の良い人と付き合い

 

割といい感じの服を着ていた

 

と思う

 

親とは折り合いがつかない事もあったが

 

今は仲良く

 

年末がどうだ年始はどうするだとか

 

夏の旅行はどうするだとか

 

風邪はひいていないかとか

 

心配までされる始末

 

波風が立たないことがシアワセと言うのなら

 

まさにそうだ

 

こんなはずじゃなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

寂しい夜を何日も一緒に越えてきた

 

同じ布団で寝て

 

朝は自分より先に彼女にご飯をあげた

 

家に帰れば誰よりも先に駆け寄ってきて

 

出かける時は驚くほど大きい声で鳴いた

 

そんな彼女の亡骸

 

茶色の毛並みは半分くらい白くなり

 

歯は抜け落ち

 

足の骨が浮き出ている

 

その最後の夜に私は傍に居なかった

 

居れなかったのではなく

 

居なかった

 

そろそろ覚悟しておいて

 

そう聞いていた

 

でも現実味はなく

 

まだ大丈夫

 

まだ大丈夫だろうと

 

都合よく思っていた

 

命が続くよう祈っていた

 

でも祈っているだけだった

 

 

 

本当は

 

本当は最後の夜彼女の前足を握って

 

ありがとうって

 

怖くないよって

 

頑張っていくよって

 

何度でも何度でも

 

声が千切れるか

 

命が消えるか

 

どちらかまで続けたかった

 

 

 

 

私は知る

 

私が

 

薄情で

 

世間知らずで

 

傲慢で

 

怠惰で

 

口先だけで

 

楽観的で

 

本当の悲しみなんて知らなかった事を

 

そして

 

もう彼女にはそれが伝えられない事を

 

 

 

 

 

 

私は今は悲しみを知っている

 

それは

 

優しさにも

 

愛しさにも

 

強さにも

 

繋がっている

 

在り来りな言葉だけど

 

無駄にしない

 

彼女の命を絶対に無駄にしない

 

 

 

 

たまに忙しくて忘れそうになる

 

かも知れない

 

でも

 

カナシミニツイテ

 

私は私の事

 

ひとつ知って

 

傍に居る人

 

傍に居たい人

 

傍に居てくれる人

 

手の届くあなたを

 

手の届かない君を

 

大切に思えるんだよ

 

 

 

 

ありがとう

 

ゆっくりおやすみ

 

 

 

 

 

翌朝

 

私は眠い目を擦って

 

もっと眠いであろうあなたの家に向かう

 

きっとまた

 

パンと牛乳を切らしているだろうから

 

途中で買っていこう

 

大切なあなたの為に