よるにあえぐ あさにそそぐ
カーテンは閉めたまま
まだ薄暗いキッチン
背もたれのない木の椅子に座り一息
コーヒーメーカーがコポコポと音を立てている
パンとミルクを切らしている事に気づいたが
仕方ないかと諦めた
昨日悲しい事があったせいだ
唐突に命について考えさせられる
そんな夜を越えた
いや寝ていないから越えてはいないのか
もはや分からない
とめどない思考の一端
命は器のようなもので
そこにとくとくと栄養のような何かが注がれ
できるだけいっぱいに満たしておきたい
でも少しずつ減って
器も壊れていき
いつの日か
それが尽きたら
果てるものなのだと
何年も会っていない彼は
生きるのをやめた
昨日の夜のことだ
朝になり少しだけ冴えてきた頭で
まだ思考を続けよう
誰しも自分の親が作ってくれた器を
少しずつ
少しずつ大きくしていく
初めは人に注いでもらう
もちろん器は歪で
気づいたら小さな穴が空いていたり
注がれた先から零してしまったり
なかなか器はいっぱいにならなくて
空っぽな気がして不安になったり
器の形が気に食わなかったりもする
でもいろんな人と出会い
試行錯誤しているうちに
器らしいものになり
注がれたもので
自分の掌が浸かるくらいにはなる
それくらいになると
自分が注ぎたいものに気づいていく
人に注がれるのが嫌になったり
それは良くないよと言われても
止められなかったりもする
彼の話をもっと聞きたかった
空っぽなままで居なくなったのか
空っぽにする準備を進めていたのか
一杯ではなくても満たされるイメージを
一緒に見れなかったのか
いつから
そんな事言っても仕方ない
もう戻らない
器の形もほぼ決まり
まだまだ一杯には程遠いけど
器の容量が概ね分かった頃
自分に注がれたものを
他の人に分けられる事に気づく
そうすると今まで注がれたものが
何も無いところから湧き出たものではなく
誰かが精一杯貯めてきた何かで
あなたに注いでも消えないものや
注いだ傍から消えるもの
でもきっとあなたの為になるもの
そうするとさ
そう思えるとさ
とても大切で愛しいものだと気づくんだろう
弱くて自分の事で精一杯だったから
彼に注いでもらったもの
彼に同じだけ注げたかわからない
いや同じだけである必要はないんだけど
もっと話したかった事があった
もっと聴きたい音があった
酒も飲み明かしたかった
人は身体だけで生きていない
目に見えない器に
注がれたもの
その栄養のような温かい何かに
生かされている
だから
自分の器を満たすことより
大切な人の器を
満たすことを考えたい
もし
満たすことが出来なくても
乾いてひび割れないように
もし
注ぐようなものがなくても
せめて冷たくならないように暖めたい
そこで思考は途切れた
数分だけ眠っていたらしい
コーヒーはフィルターを通り抜け
ぽたぽたとカップの中に波紋を作る
いつもと違うはずの
いつもの朝に
いつものコーヒーは
湯気だけをあげて静かに待っている
玄関が開く音
君は
薄暗いキッチンのカーテンを
無造作に開き
パンとミルクを買ってきたと言う
そして当たり前のように
今淹れたコーヒーを
俺の前に置き
得意げにどうぞと言うと
冷たいミルクを注いでくれた
それはたっぷりと
そんなに入れたら冷めてしまうと
言おうとしたけれど
ありがとうとだけ言って
もう一度スイッチを入れた
コーヒーメーカーはコポコポと音を立てだした