日々の考察と、邂逅

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怒る事は大切な感情行動だと思った話

 

 

10代の頃あるマンガで

 

"人のことを知りたいなら

 

その人が何で怒るのかを知りなさい"

 

的な言葉を読んで俺の心に刺さった

 

 

俺の中では

 

「大切な人とは喧嘩した方が良い」

 

と変換された

 

(若者よお前は明らかに捻れている)

 

 

 

でも

 

「あなたのことを知りたいので怒ってください。喧嘩しましょうよ」

 

で、怒れる人間はいないので

(むしろ笑われる)

 

前提は何も言わずに質問してみた

 

「あなたが今までで1番怒った出来事は何ですか?」

 

しかし

 

「あんまり怒らないんだよねー。」

 

という人が9割

 

 

なるほどこれは奥深い

 

 

 

いくらなんでも10代から20代前半の多感な時期の人間が怒ったことないとは思えない

 

 

 

 

要するに

 

"話したくない"

 

または

 

"忘れたことにしたい"

 

のだろうと当時は理解した気になった

 

 

でも全然理解が足りていなかったなと今は思う。

 

 

 

 

"怒り"という感情はとても複雑なもの

 

悲しみ 痛み 恨み ツラみ 妬み 嫉み 、、、

 

そんなネガティブな感情が度を過ぎると怒りとして表出するパターン

 

または

 

大切な人に裏切られたり

 

理想の自分でいれなかったり

 

不慮の事故にあったり

 

明らかな悪意に触れたり

 

所謂「キレる」に近い怒りのパターン

 

 

 

それぞれが

 

価値観や限界値

 

体調や精神状態

 

環境や年齢

 

そしてなにより

 

「誰に対しての怒りなのか」

 

分岐に分岐を重ねて

 

 

「怒る」と言っても全然違うし

 

人に説明するのは骨が折れる

 

 

 

要するに

 

感情の中でも特に共感されづらい

 

センシティブでパーソナルなもの

 

なのです

 

 

 

 

だからあまり知らない人に

 

「怒ってみて」と言われても

 

「なにで怒ります?」と言われても

 

「いやー、(あなたには)怒らないですよ。」

 

と言うだろう

 

 

 

 

 

冒頭にある

 

"人のことを知りたいなら

 

その人が何で怒るのかを知りなさい"

 

と言うのは

 

"その人のことを知りたい

 

大切な人になりたいのなら

 

怒られるくらい価値を知ってもらい

 

怒られるくらい認めてもらい

 

怒ったことを

 

悲しくてつらかったことを

 

打ち明けてくれるほど信頼され

 

大きな存在になる事だ"

 

 

 

というのが今の解釈である。

 

 

 

そして裏を返すと

 

怒ってしまうという事は

 

その人に理想や期待や愛情など

 

ポジティブな印象を持ち

 

それを裏切られたりしても

 

それでも傍にいたいから

 

間違ってること

 

悲しいこと

 

痛いこと

 

教えていあげたくて

 

知ってほしくて

 

本当は

 

怒ってしまうんだよ。

 

 

 

 

そして最後に

 

そんな愛しい「怒り」を

 

全然大切ではない

 

もう会う必要も無い

 

自分にとって価値のない

 

時間や人や場所で

 

使わなくて良いんだって事。

 

 

 

すべてを許すことは難しいけど

 

あなたの感情やそれに悩む時間は

 

あなたが大切な人に使いましょう。

 

 

 

 

朝の電車で泣いている子どもに怒るおばさんと

 

そのおばさんに対して怒る子どものお母さんを見ていて

 

子どもがお母さんにしてほしかった事は違うんじゃないかな

 

 

日曜の朝ふと思った事。